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【丸わかり】新嘗祭とは?読み方は?大嘗祭との違いや勤労感謝の日との関係まで徹底解説!

【丸わかり】新嘗祭とは?読み方は?大嘗祭との違いや勤労感謝の日との関係まで徹底解説!

「11月23日」といえば、何の日でしょうか。

一般には「勤労感謝の日」と答える方が多いと思いますが、「新嘗祭」の日でもあります。

新嘗祭は宮中や全国の神社で行われる神事です。皆様も一度は耳にしたことがあるかもしれません。

しかし「新嘗祭って何をする日?」「勤労感謝の日との関係は?」「大嘗祭との違いは?」など、新嘗祭が何をする日なのか知っている人は少ないかもしれません。

本記事では、新嘗祭の意味や歴史的背景、戦後に制定された「勤労感謝の日」との関係、そして「大嘗祭」や「祈年祭」「神嘗祭」との違いについてわかりやすく解説します。

古代から続く新嘗祭は、日本の農耕文化と深く結びついている儀式です。この記事を読んで、新嘗祭や日本の農耕文化について触れてみてください。

INDEX

1. 新嘗祭の意義と起源

1-1. 新嘗祭とは?

稲穂

1-1-1. 最も重要な宮中祭典

「新嘗祭」は、

・にいなめさい
・しんじょうさい
・にいなめのまつり

と読みます。

「新嘗」の漢字の意味は次の通りです。

「新」・・・ その年に収穫された「新米」や「新穀」のこと。
「嘗(な)める」・・・「食する」を意味し、神様や天皇陛下が新穀を初めて召し上がる意。

 

つまり、「新嘗祭」とは、天皇陛下がその年の新穀を神様に捧げ、自らも食するという収穫に感謝する儀式です。

新嘗祭は、古代日本から続く宮中の最も重要な収穫祭であり、全国の神社でも執り行われます。

また、宮内庁による新嘗祭の説明は次の通りです。

天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。(宮内庁|主要祭儀一覧

このように、新嘗祭は天皇陛下自らが神様に感謝し、国の豊作を祈る神聖な儀式であり、日本の伝統的な祭祀の中でも特に重要視されています。

1-1-2. 五穀豊穣を神様に感謝し、国家安泰と国民の繁栄を祈る

新嘗祭では、天皇陛下が新米を神様に捧げ、自らも新米を食することで、国の収穫に感謝を表現する祭祀としての意義があります。

天照大御神の子孫であるので、天皇陛下は神様との仲介者として、国民と自然の恵みを結びつける象徴的な役割を果たします。

また、農耕が生活の中心であった時代、米が豊作であることは、国家の安泰・国民の繁栄に直接的に結びついていました。

そのため、新嘗祭では、五穀豊穣に加え、国家安泰や国民の繁栄も祈られました。

1-2. 起源は?

1-2-1. 弥生時代の稲米儀礼から

収穫を感謝して神恩を受ける代表的な稲米儀礼として、新嘗祭の起源は、稲作開始の弥生時代に遡るとされています(「新嘗祭」『神道辞典』p.230)。

弥生時代というと、諸説ありますが、紀元前10世紀から起源3世紀頃。この時代に、稲作が大陸から伝わり、それまでの狩猟採集から農耕を中心とする生活がはじまります。

後の奈良時代(720年)に完成した『日本書紀』にも、日本の古い歴史を描く際に「新嘗」の言葉が使われるなど、収穫に感謝する儀礼が古くからあったことをうかがい知ることができます。

天照大神の新嘗しめす時(『日本書紀』神代紀)

新嘗の月に当りて、宴会の日をもって酒を内外命婦等いに賜う(『日本書紀』仁徳紀)

1-2-2. 神話で描かれる稲作のはじまり

斎庭の稲穂(出典:今野可啓 / 斎庭の稲穂

歴史上、稲作は大陸から日本に伝わったとされますが、神話でのその描かれ方をみてみましょう。

稲作の起源は、日本のはじまりとあわせて、日本の神話である「古事記」や「日本書紀」にある「天孫降臨」の神話で描かれています。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまは、孫の邇々芸命(ににぎのみこと)に三種の神器・・・(中略)・・・を授け、豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)を高天原(たかまのはら)のようにすばらしい国にするため、天降るように命じました。

・・・(中略)・・・

邇々芸命は天照大御神さまより、高天原の稲を授かり、豊葦原水穂国の人々の食物とするようにも命じられました。(神社本庁|天孫降臨

(補足)
・豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)=地上
・高天原(たかまのはら)=神々が住まうところ

この神話は、日本の稲作の起源として語り継がれてきました。

2.新嘗祭の歴史的な背景と変遷

巻物

2-1. 古代~平安時代

2-1.1. 弥生時代の稲米儀礼から

紀元前10世紀頃に九州北部に稲作が伝わってきて以来、日本は稲作中心の生活を営んできました。

収穫祭の側面を持つ新嘗祭の起源は、稲作がはじまった弥生時代の稲米儀礼(神道辞典 p.230)、もしくは大化前代である飛鳥時代の頃(7世紀頃)の新嘗儀礼に求められるとされます(坂本, p.95)。

また、新嘗祭の最も古い記録として、皇極天皇元年(642年)の新嘗の神事が次のように記されています。

十一月壬子朔癸丑、大雨雷。・・・(中略)・・・。丁卯、天皇御新嘗
(「日本書紀」巻第二十四 皇極天皇紀より)

2-1-2. 平安時代に国家的祭祀として確立

新嘗祭は、古代から宮中行事として行われてきましたが、国家的祭祀として定位・制度化されるのは平安時代(天武天皇・持統天皇の頃)というのが通説です(坂本, p.95)。

2-2. 室町~江戸時代

2-2-1. 戦乱の時代を背景に途絶

新嘗祭は重要な国家的祭祀でありましたが、政情の悪化や戦乱のために祭祀を執り行うことが困難になり、室町時代である後花園天皇の寛正4年(1463年)を最後に途絶えることとなりました。

2-2-2. 江戸時代に再興

それから200年以上経った、時は江戸時代。

東山天皇の貞享4年(1687年)の大嘗祭再興をきっかけに、新嘗祭再興の機運が高まり、翌年に略儀である新嘗御祈が執り行われました。

2-2. 明治時代

2-2-1. 近代国家の祭祀として再編

欧米列強に追いつくため、日本が近代国家として発展するには、「天皇陛下を中心とする中央集権体制」を樹立することが必要でした。

中央集権体制を整えることで、徴税・徴兵を徹底し、富国強兵の日本を作ろうとしたのです。

そこで明治政府は、天皇陛下を精神的支柱に据え国民統合を図るべく、明治元年(1868年)に「大教宣布」の詔を発布し、神道国教化を推進しました。同時に、古代から続く神仏習合を解消するため、神仏分離令を発布しました。

この流れの中で、新嘗祭を天皇陛下が国民を代表して神々に感謝する国家行事であることを強調し、天皇の宗教的権威を示そうとしました。

明治41年(1908年)に制定された「皇室祭祀令」では新嘗祭を天皇陛下みずから行う「大祭」と指定しました。

(補足)皇室祭祀令

明治41年(1908年)に制定された皇室の祭祀を定めた法律です。皇室祭祀の整備、条文化、固定化を目的としており、3章26条と附式2編で構成されています。

皇室祭祀令では、大祭と小祭の区別および斎戒、服喪、儀服、神事式、恒例祭以外の祭祀(臨時祭)について定められました。

2-3. 戦後から現在

2-3-1. GHQにより公的行事から除外

天皇陛下を精神的支柱に据えた国民統合を志向した明治政府の宗教政策の根幹であった国家神道。

戦後は、これを軍国主義や過激な国家主義を生み出した悪の根源であると危険視したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、1945年に神道指令が発令され、政教分離が徹底されるようになりました。

続く1947年には皇室祭祀令は廃止されましたが、新嘗祭をはじめとする宮中の祭祀は、天皇陛下により大切に受け継がれています。

2-3-2. 「勤労感謝の日」として世俗的な意味合いに

GHQ主導で新日本国憲法が制定されるにあたり祝祭日の見直しも行われ、新嘗祭が行われる11月23日は「勤労感謝の日」を名を変え、宗教的な色をなくし、世俗的な祝日となりました。

しかし、いまもなお、新嘗祭は宮中恒例祭典の中の最も重要なものとして行われています。

3. 新嘗祭の儀式とその内容

3-1. どこで行う?

3-1-1. 皇居にある神嘉殿

新嘗祭は、皇居内にある宮中三殿に附属する「神嘉殿」という建物でおこなわれます。

皇居内の地図

(出典:皇居全体図 | 宮内庁

【宮中三殿】
皇居内の賢所かしこどころ皇霊殿こうれいでん神殿しんでんの総称です。

【神殿】
宮中三殿に附属して構内に、神嘉殿しんかでん神楽舎かぐらしゃ綾綺殿りょうきでん奏楽舎そうがくしゃ幄舎あくしゃ等の建物があります。(出典:宮中祭祀|宮内庁

3-2. 新嘗祭の流れは?

前日に「鎮魂の儀」を行い、新嘗祭の当日には「夕の儀」「暁の儀」を翌11月24日にかけて行われます。

3-2-1. 鎮魂の儀(前日)

天皇・皇后・皇太子の魂を鎮め、長寿を祈ります。

3-2-2. 夕の儀・暁の儀(当日)

平成25年11月 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)

(出典:平成25年11月 新嘗祭(夕の儀)| 宮内庁))

「夕の儀」は、午後6時~8時に行われます。

儀式の流れは次の通りです。

・燈火が灯され、神楽歌が奏されるなか、女官、掌典(祭祀を司るもの)などにより、神饌を神嘉殿にお運びする[神饌行立(しんせんぎょうりゅう)]

・天皇陛下と皇太子が侍従を引き連れ、神嘉殿に赴く。

・神饌を天皇陛下御自ら竹のお箸で柏の葉の平手(古式の食器)に盛り付けて神座に供される。

・告文(神への感謝の言葉)を奏上。

・直会として、神饌を天皇陛下が頂いて食される[人神共食の儀礼]。

・神饌を下げ、参列者一同が拝礼して、儀を終える。

ちなみに、「神饌(しんせん)」とは、神道において神様に捧げる食事やお供え物のことです。

このときの神饌は、

・新米の蒸御飯、御粥
・粟の御飯、御粥
・白酒(しろき)、黒酒(くろき)
・魚の生物、干物
・鮑、海藻の干漬
・羹(あつもの、お吸い物のこと)
・果物

などです。

白酒・黒酒は、新米を使って醸造される特別な御酒です。白酒はその原酒をそのまま濾してつくりますが、黒酒はこの白酒に焼灰を加えたものです。

神饌として、新米やそれを使ったお神酒が供えられるのは、新嘗祭において五穀豊穣を感謝するという意味合いがあります。

続く「暁の儀」は、午後11時から翌午前1時まで、夕の儀と同様の儀礼を行います。

4.新嘗祭の日付とその歴史的変遷

11月のカレンダー

4-1. 新嘗祭はいつ行われる?

4-1-1. 古くは「旧暦11月の2番目の卯の日」

2024年が「辰」年であるといった具合に、年と同じように日にも十二支が割り当てられていますが、新嘗祭が行われていたのは、「旧暦11月の2番目の卯の日」です。

十二支は1ヶ月に2~3度同じものが回ってくるので、「2番目」の卯の日のことを、「下の卯の日(2回めぐってくる場合)」「中卯の日(3度めぐってくる場合)」という場合もあります。

この卯の日は12日に1度めぐってくるので、2番目の卯の日は「11月13日~24日」と変動的でした。

(補足)
11月 1日が卯の日の場合 →2番目の卯の日は11月13日
11月12日が卯の日の場合→2番目の卯の日は11月24日

4-1-2. 現在は「11月23日」

明治政府が西洋の制度を導入して近代化を進める中で、欧米との暦を統一するために新暦となる「太陽暦」を採用しました。

明治6年に改暦した際、「2番目の卯の日」が11月23日であったことから、それ以降新嘗祭を行う日を「11月23日」と固定しました。

ただし、新嘗祭は1日で終わるものではなく、前日の「鎮魂の儀」から始まり、新嘗祭の「暁の儀」は翌24日に及びます。

なお、実際の収穫より1ヶ月ほど遅くに新嘗祭があるのは、新嘗祭を前に忌み籠りし、心身を祓い清めるためと考えられています。

4-2. 「勤労感謝の日」との関係は?

4-2-1. 戦前|「新嘗祭」は祭日

途中一時の断絶はあったものの、平安時代に国家的祭祀として確立した「新嘗祭」は、明治時代には皇室の祭典をはじめとする宗教儀礼をおこなう「祭日」として、皇室祭祀令(1908年制定)で定められていました。

「祭日」とは、神社のお祭りや皇居の祭典など宗教儀礼をおこなう日のことです。

4-2-2. 戦後|「勤労感謝の日」として祝日に

天皇陛下を精神的支柱に据えた国民統合を志向した明治政府の宗教政策の根幹であった国家神道ですが、戦後は、GHQにより、軍国主義や過激な国家主義を生み出した悪の根源であると危険視されました。

戦後、旧来の祝祭日は「宮中行事」や「神ながら」といった伝統に基づいていましたが、新しく制定された日本国憲法の「人間天皇制」では不明瞭であると、国会において指摘がありました(第1回国会 衆議院 文化委員会 第16号 昭和22年12月2日)。

これを受け、祝祭日から従来の国家神道の意味合いを払拭するという方針のもと、新たに祝祭日の見直しが進められました。

1947年には皇室祭祀令が廃止され、宗教儀礼をおこなう「祭日」が廃止され、翌年1948年に「国民の祝日に関する法律」により祝日が定められます。

この中で、現在は名前を変えて現在の祝日に受け継がれている祭日があります。

新嘗祭の「11月23日」もその一つです。新嘗祭の宗教的な側面を排除した形で、労働と生産を祝う日として「勤労感謝の日」となりました。

この改称にあたっては、当初「メーデー」を祝日にしたいという意見もありましたが、国民全体が祝える日とするために見送られました。

その後、「生産感謝の日」として労働と生産に感謝する日を設ける案が出されましたが、「生産」では固いとの理由で「感謝の日」となり、最終的に「勤労感謝の日」に修正されて現在の名称に至りました(第2回国会 参議院 文化委員会 第7号 昭和23年6月18日)。

なお、新嘗祭は公的行事から外れましたが、長く伝統ある重要なお祭りとして、宮中では今もなお執り行われています。

(参考)戦後の祝日改革により、神道や天皇陛下に関する祭日の見直しは以下のようなものがあります。

◆ 改称
[四大節(しだいせつ)]
・四方節(1月1日) →  元旦
・紀元節(2月11日) →  建国記念日
・天長節(4月29日)→ 昭和天皇誕生日
(→みどりの日→現 / 昭和の日)
・明治節(11月3日) →   明治天皇誕生日(→文化の日)

[皇霊祭]
・春季皇霊祭 → 春分の日
・秋季皇霊祭 → 秋分の日

◆廃止
・神武天皇祭(4月3日)
・神嘗祭(10月17日)

5.新嘗祭と他の祭りとの比較

5-1. 「祈年祭」との関係は?

5-1-1. 春に行われる五穀豊穣を願う儀式

祈年祭は春に行われる五穀豊穣を祈る神事です。

秋に行われる五穀豊穣に感謝する儀式である新嘗祭とは、対をなす存在です。

その起源は、歳神(豊穣を司る神様)の祟りに降れた大地主神(田畑を司る神)が、白馬・白猪・白鶏を捧げて祟りを鎮めた古代の儀式に遡ります。

奈良時代になると、律令制度の下で重要な国家祭祀「四箇祭」の一つとして位置づけられ、その年のはじめの祭りということもあり、祈年祭では五穀豊穣だけでなく、国家安泰・国土繁栄なども願う、国家規模の大きなお祀りへと発展しました。

<四箇祭>
・仲春の祈年祭(2月)
・季夏の月次祭(6月)
・中秋の新嘗祭(11月)
・季冬の月次祭(12月)

5-1-2. 新嘗祭との比較

祈年祭と新嘗祭は、それぞれ春と秋に行われる農耕文化に基づくお祭りです。

その目的、別名、時期をまとめると次の通りになります。

祈年祭と新嘗祭の比較表

5-2. 「大嘗祭」との違いは?

5-2-1. 天皇陛下が即位して初めて行う特別な新嘗祭

大嘗祭は、宮内庁の説明によると、

大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇陛下が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖(天照大神)及び天神地祇(すべての神々)にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。

それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。(宮内庁 大嘗祭について(令和元年10月2日)

つまり、簡単にいうと「天皇陛下が即位して初めて行う新嘗祭」ですが、その重要性は格段に高く、規模も大規模となります。なお、大嘗祭の場合は、日程は11月23日に限りません。

歴史的には、7世紀中頃までは、この大嘗祭と毎年行われる新嘗祭との区別はなかったものの、第40代天武天皇の時(御在位673~686年)に、初めて大嘗祭と新嘗祭とが区別されるようになりました。

それ以降、大嘗祭は一世に一度行われる極めて重要な皇位継承儀式とされ、歴代天皇は、即位後必ずそれを行われることが皇室の伝統となりました。

5-2.2. 大嘗祭の具体的な内容

大嘗祭の事前準備

【斎田点定の儀】

(令和元年の大嘗祭の場合は、同年5月13日に)皇居の宮中三殿で行われる「斎田点定の儀」により、大嘗祭で使用する新米の産地が決定されます。大嘗祭に新穀をたてまつる神聖な田のことを「斎田」といい、東日本から「悠紀田(ゆきでん)」、西日本から「主基田(すきでん)」がそれぞれ選ばれます。

斎田を選ぶにあたっては、宮中三殿の神殿の前庭において古代のままの「亀卜(きぼく)」を用いて、神意を伺います。「亀卜」とは、亀の甲を波々迦木(ははかぎ)に移した斎火(いみび)で焚き、その甲の亀裂によって悠紀・主基両地方を決める伝統的な方法です。

なお、令和元年の大嘗祭には、栃木県が東日本の「悠紀地方」、京都府が西日本の「主基地方」に選ばれました。

 

【大嘗宮の設営】

大嘗宮
皇居東御苑には、大嘗祭の儀式を執り行うために、大嘗宮が特設されます。およそ90メートル四方、総面積約2,700平方メートルの敷地に、悠紀殿、主基殿、廻立殿(かいりゅうでん)など30以上の伝統的な建物が設置され、簡素な内装が施されます。

 

大嘗祭の儀式内容

【悠紀殿供饌の儀 / 主基殿供饌の儀】

悠紀殿供饌の儀(出典:大嘗宮の儀(悠紀殿供饌の儀)|宮内庁)

悠紀地方の斎田で収穫された新米が「悠紀殿供饌の儀」に、主基地方の斎田の新米が「主基殿供饌の儀」に使用されます。各儀式では、新穀が神に捧げられ、天皇陛下が召し上がります。

 

【大饗の儀】

大饗の儀

(出典:大饗の儀| 宮内庁

大嘗宮の儀が終了後、宮中において「大饗の儀」が執り行われます。天皇陛下が参列者に新穀をもって調製した酒と料理を賜り、安寧と豊作を祈念して祝います。

5-3. 「神嘗祭」との関係は?

5-3-1. 天照大御神に新穀を捧げる祭典

神嘗祭は、毎年10月15日~17日にかけて、その年の初穂を天照大御神にお供えする伊勢神宮で行われる神事です。

伊勢神宮において

収穫に感謝し新穀を奉る神宮至高の神事
神嘗祭|伊勢神宮

とされており、その重要性がわかります。

鎌倉時代中期に編纂された、伊勢神道の経典の一つである「倭姫命世紀(やまとひめのみことせいき)」によると、一羽の真名鶴が一本の稲穂を皇大神宮に捧げたことを見た倭姫命は、天照大御神が伊勢に鎮座したことを悟り、初穂を皇大神宮に供えた。これが、神嘗祭の始まりであるとされます。

伊勢神宮ではこの神嘗祭を行うために実際に稲作を行っており、種籾、田植え、稲刈りにあたってはそれぞれ付属祭が執り行われます。

“神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません(神嘗祭|伊勢神宮)”というほど中心的な存在とされます。

外宮でお祭りが行われた後、内宮でも同様の祭りが行われます。

5-3-2. 新嘗祭との違い

神嘗祭も新嘗祭も、「五穀豊穣を感謝する」という意味合いでは同じですが、行われる時期や場所、捧げる対象が異なります。

以下の一覧にまとめたので参照してください。

神嘗祭と新嘗祭の比較表

まとめ

さていかがだったでしょうか?

新嘗祭とは、天皇陛下がその年の新穀を神様に捧げ、自らも食することで収穫に感謝を捧げる、古代から続く神聖な儀式です。

新嘗祭は平安時代に国家行事として確立され、戦後は宗教的な意味合いを取り除かれて「勤労感謝の日」として残りましたが、宮中では今も重要な祭祀として続けられています。

また、新嘗祭と密接な関係を持つ祭りとして、「祈年祭」「大嘗祭」「神嘗祭」があります。

祈年祭は毎年春に行われ、豊作を祈る儀式で、収穫に感謝する秋の新嘗祭と対をなす存在です。

大嘗祭は、天皇陛下が即位後に一度だけ行う特別な新嘗祭であり、より厳粛な儀式です。

さらに、神嘗祭は10月に伊勢神宮で行われ、天照大御神にその年の初穂を捧げる祭典で、これらの祭りは日本の稲作文化に根ざした重要な儀式といえるでしょう。

こうした日本古来の儀式は、現代でも私たちの生活や文化の中に脈々と受け継がれ、日本の豊かな自然と神々への感謝の気持ちをあらためて教えてくれます。

新嘗祭をはじめとするこれらの伝統行事を知ることで、日本文化の深さや自然との調和の大切さを感じ取ってみてください。

 

<参考資料>

・岩井 宏實「日本人 祝いと祭りのしきたり」2012年、青春出版社
・小野善一郎「新嘗のこころ―勤労感謝の日から新嘗祭の復興」2016年、青林堂
・阪本 是丸「近世の新嘗祭とその転換」『明治聖徳記念学会紀要』復刊第4号、1991年、p. 95-112
・茂木 貞純「日本人なら知っておきたい! 神道としきたり辞典」2014年、PHP研究所
・國學院大學日本文化研究所編「神道辞典」1995年、弘文堂
「大嘗祭について」宮内庁(令和元年10月2日)
神嘗祭|年間行事|祭典と催し|伊勢神宮

よくある質問

[質問]新嘗祭はどのような意味を持つ祭りですか?
[回答]新嘗祭は、天皇陛下がその年の新米を神々に捧げ、自らも食することで豊作に感謝する、古代から続く神聖な儀式です​。
[質問]新嘗祭と勤労感謝の日の違いは何ですか?
[回答]新嘗祭は神さまに感謝する神聖な儀式で、戦後に宗教的側面を取り除いて「勤労感謝の日」として世俗的な祝日に改称されました​。
[質問]大嘗祭との違いは何ですか?
[回答]新嘗祭が毎年行われるのに対し、大嘗祭は天皇陛下の即位後、一代一度のみ執り行われる特別な儀式です。大嘗祭の場合は日程は決まっておらず、規模や意義が異なります​。

 

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